
今迄のキャリアを教えて
大学の建築学科卒業後、カメラマンのアシスタントなどを経て雑誌のカメラマンとして活動していました。ジェームズナクトウェイなど戦場カメラマンに憧れがあり、時間ができるとアフガニスタンやフィリピンの海賊を取材し、雑誌に寄稿などもしていました。
アフガニスタンでは難民キャンプで銃を突き付けられたり、フィリピンでは警察に拘束されたり、危険な目にもあったので、「生きてさえいれば何とかなる」という楽観的な考えが様々な経験で培われたかと思います。

戦場を飛び回って取材して、著名な賞を沢山貰ってメディアにも引っ張りだこという姿を想像していたのですが、生活の為にお店や企業の偉い方を取材しているうちに、会社社長っていうのも面白そうだと思うようになりました。
父が不動産屋をやっていたので、継ぐことも念頭に不動産業界に入ったのが29歳、30社くらい受けて唯一受かったのが私が7年間お世話になった会社でした。2018年にドリームプランニングに入社し、2020年から現職となりました。
30社受けて1社ですか?
自分でも何故か分からず、落ちた会社に電話したり、ある会社は3回受けました。自己アピールも20枚くらいのレポートにまとめて、自分は休みも要らないし、死ぬ気で働くし、どうやって売り上げを上げるか、どれだけ会社に役立てるかアピールしましたが、全て全滅でした。
うちの会社にそれだけやる気がある人が来たら直ぐ採用すると思いますが、恐らくやる気がありすぎて引かれたんだと思います(笑)
採用された会社はどんな会社でした?
首都圏の不動産業者の方であれば誰もが知るバリバリでゴリゴリの仲介業者です。入社したころは8時出社で12時まで仕事、休日はもちろん無く寧ろ泊りで輪転という広告原稿を刷っていました。
3年目位まではお客様も貰えず、ひたすら先輩の雑用をさせられ、契約直前のお客様を取り上げられたり、暴力、暴言、店長に奢らされるなどは当たり前で、売り上げも最悪の店舗でした。
不動産業界はどこへ行ってもそんなものだと思ってましたが、辞めてみて相当変わった会社だったんだなと初めて分かりました(笑)
中途半端が嫌いだったので最終的には全店舗で7位になり、1位を目指していたのですが父から呼び戻された形で今の会社に入社しました。
(会社の名誉の為に言うと、4年目以降は良い上司に恵まれ、今ではホワイト企業になっている?!ようです)

今後会社をどうしていきたいですか?
夢はもちろん世界一です。
当社はビジョンに「あらゆる不動産問題を解決し、人々の喜びと幸せを追求する」と掲げています。
その為、現在は空き家問題に着目し、再建築不可や市街化調整区域など他社様では売却の難しい不動産の買取、再販売を行いつつ、全国の不動産業者と不動産でお困りの方をマッチングするサービスを無料で提供しています。

ただ、「あらゆる不動産問題」と定義しているように、解決すべき問題は沢山あります。日本の水源の問題や、マッチングシステムの利便性、極端な事を言うと地球外の不動産やメタバースの空間においても解決しなければならない問題はあるはずです。
当面はニッチな不動産分野での日本一を目指し、次のステップで世界一を目指してまいります